ラスベガス最古のバー Atomic Liquors が復活オープン

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 先週末、ダウンタウン地区にある有名な電飾アーケード「フリーモント・ストリート・エクスペリエンス」の東端からさらに東へ600メートルほど行った地点に、ラスベガス最古のバー Atomic Liquors が約2年ぶりに復活オープンした。(下は復活オープンのために作られたポスター)

 現地の地理をよく知る読者からは、「そんな不便な場所へわざわざ行くわけがない!」などと言われそうだが、この店はあの TIME マガジンの表紙を飾ったこともあるほどの伝説のバーだ。

 ラスベガス・フリークなら、行ってみればそれなりの発見があるかもしれないので、足を運んでみるのもよいが、初ベガスの一般観光客は、華やかなラスベガスのイメージとは無縁の場所なので、行っても後悔する可能性が高い。
 また、この店をジョークやパロディーとしてではなく、被爆者感情、政治、歴史といった部分とつなげて考えると、なかなかやっかいな話になるので、そのへんのことにはあまり過敏になりすぎないようにしたほうがよいかもしれない。

 名前からも想像がつく通りテーマは原爆で、店の実態はさしずめ「原爆酒場」とでもいったところか。
 米ソ冷戦時代、ラスベガスの北西に広がる砂漠で何度も繰り返されてきた核実験によるキノコ雲が、この店からよく見えたことからその名が付いた。(下の写真は現在の外観)

 もちろんキノコ雲はラスベガスの他の場所からも見えたので、それ自体は珍しいことではなく、この店だけの特徴とはいえない。この店の特徴は、なんといってもラスベガス最古の公認酒場であるということ。
 つまりラスベガス市が発行する酒類販売ライセンスの第1号を取得した店というわけだ。
 ちなみに前身は 1945年に、フラミンゴホテルを建てたバグジー・シーゲルのガールフレンド、バージニア・ヒルが出資して開業したレストラン「Virginia’s Cafe」で、その後 1952年に新法令に基づくベガス初のライセンスを取得し、酒場として生まれ変わった。(下の写真は現在のバーカウンター)

 この店を有名にしたのは古さだけではない。有名人からひいきにされてきたことも人気の理由の一つで、ベガスで常駐ショーを演じていたフランク・シナトラ、サミー・デービス・ジュニアらの行きつけの店として知られている。
 さらにバーブラ・ストライザンドにいたっては、自分専用のイスを定位置に確保し、頻繁にかよっていたというから、現在はともかく、当時はかなりお気に入りだったようだ。
 そんな人気店であったためか、映画界からも注目され、ロバート・デ・ニーロがマフィアを演じた「カジノ」、ベガスを舞台にしたドタバタ劇「ハングオーバー」にもこの店は登場している。

 この写真は、我々の取材を快く承諾してくれた新オーナーのデレック・ストンバーガー氏
 これまでのオーナーが2年前に死去したため閉店を余儀なくされていたこの店の復活に情熱を燃やし、経営権を遺族から引き受け、このたびの再開業を実現させた男だ。
 彼自身はこれまで飲食店の経営とは無縁の映画関連の仕事に携わってきたが、由緒あるこの酒場をこのまま葬ることはできないという思いで、復活プロジェクトに名乗りを上げたという。
 そんな彼も、日本のメディアからの取材は初めてとのことで、最初はやや緊張気味ではあったが、広島、長崎の話題も避けることなく原爆酒場の過去の様子や現在の店内をていねいに案内してくれた。
 ちなみに彼が腰掛けている星印が付いたイスは、バーブラ・ストライザンドが使っていたものと同じイスで、場所もまさに彼女の定位置だ。

 バーカウンターこそ新しくリニューアルされているが、店内の壁などは当時の様子がそのまま残されており、古き良き時代の雰囲気がなかなかうまく演出されている。
 古めかしいジュークボックスも置かれており(今でもちゃんと動くとのこと) 、これまた雰囲気作りに一役買っている感じだが、中に収まっているレコードはコニー・フランシスなど古株の曲も多少あるものの、クイーン、アバ、ベット・ミドラー、ビリー・ジョエルなど 70年代以降のミュージシャンが目立ち、キノコ雲が見える大気圏核実験が頻繁に行われていた時代を回想するにしては、やや顔ぶれが新しいような気がしないでもない。

 トイレにも工夫がなされていて、当時の核戦争に備えたプロパガンダ・ビデオが男性用、女性用、両方のトイレで流されている(写真)。
 なにゆえトイレなのかよくわからないが、酔っ払って意識がもうろうとしているときでも、トイレに入った瞬間、我に返って冷静になったりすることがあるものなので、この種の映像で歴史を学ぶのはここが最適ということか。いずれにせよ被爆国の日本人にとっては複雑な心境にさせられるトイレであることはまちがいないだろう。

 そして新オーナーが最後に紹介してくれたものは、床下に存在していた旧オーナーの隠し金庫(写真下)。
 現在はガラス張りにして、位置やサイズがわかるように演出されているが、当時は本当に、だれからもわからないように床下に完全に隠されていたとのこと。
 現金社会だった当時は、このようなものが必要なほど治安が悪かったのか、それともそれが常識だったのかよくわからないが、何やら時代を感じさせられる興味深い遺物だ。

 最後に、気になる料金や飲食物の内容に関してだが、価格設定は良心的で安心できる反面、食べ物はほとんどなにもないので期待しないほうがよい。
 そもそもアメリカにおけるバーでは、つまみ類は何もないか、あったとしてもナッツ類、チップス、ビーフジャーキーなどのいわゆる乾き物だけというのが普通なので、期待するほうが無理というもの。したがって、料理がないと酒を飲むことができないという者は行かないほうがよいだろう。
 バドワイザー、ミラー、クワーズなどの一般的なビールの小瓶が4ドル、各種グラスビールが3~7ドル、グラスワインは5ドルから、各種カクテル類は7ドルから。

 ちなみに各種カクテルのリストの中に「Manhattan Project」(マンハッタン計画)という名称の8ドルのカクテルを見い出すことができるが、日本人にとってはパロディーでは済まされないあまりにも胸が痛むブラックジョークだ。
 日米が戦っていた時代のことを忘れ、終戦後のこと、つまり米ソ冷戦と日米同盟という時間軸だけで現場に足を運ぶと、ショックを受けることになりかねないので、そういったことに過敏な者は始めから行かないほうがよいかもしれない。

 営業時間は、現在はまだ開業直後のため流動的で、とりあえず木曜日から日曜日の常識的な時間帯にオープンしているが、ゆくゆくは水曜日から日曜日の午後4時から朝8時までの営業を目指すとしている。
 場所は電飾アーケードから東へひたすら進み、エルコルテス・ホテルを通り越して約300メートル進んだ右側。特に危険な地域というわけではないが、周囲は何もない寂れた環境なので、遅い時間帯に女性一人で行くようなことは避けたほうがよいだろう。

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