今週は、ラスベガスでの新型コロナに対する感染対策や行動制限などの現状についてレポートしてみたい。
厳しい行動規制には慎重
結論から先に書くならば、良い悪いは別にして、各個人も行政側も総じて日本よりも警戒心がかなり薄いように見受けられる。つまりマスクの着用率は低く(着用を義務付けられている劇場やホテル内などは除く)、厳しい行動制限などは取られていない。
それはラスベガスに限らず全米においてもいえることだが、特に当地は観光都市であるがゆえに人を呼び込み地元経済を回していく必要があるためか、厳しい規制には慎重のようだ。一般市民の多くもそれを望んでいないと思われる。
したがって、昨年の6月ごろまで飲食店の営業やナイトショーの公演などに対して厳しい人数制限があったりしたが、今ではマスク着用などが求められてはいるものの、かつてのような規制はまったくない。
ちなみに現在のネバダ州知事もラスベガス市長も民主党。一般的には民主党のほうが共和党よりも行動制限に積極的な傾向にあるが、当地ではそれほどでもなく、特に市長は行動制限が好きではないようだ。
驚きの映像、百聞は一見にしかず
行政側の対応がそうであれば、一般市民も来訪者も気が緩んでしまいがちなのは無理もない。日本国内の状況と比べると感染リスクに対する意識はかなり低く驚くほど無防備だ。いや無頓着といったほうが適切かもしれない。
まずは「百聞は一見にしかず」。以下の2つの動画を見ていただきたい。当地ラスベガスで行われたアメリカンフットボールのプロリーグ NFLの試合(2021年12月26日)と、アイスホッケーのプロリーグ NHLの試合(11月13日)の様子を現場の客席から撮影した動画だ。(もちろんマスクを着用して撮影)
ちなみにフットボールの試合では入場ゲートでワクチン接種証明の提示が求められたが、ホッケーではそれがなかった。
このホッケーの試合が行われた11月はまだオミクロン株がそれほど蔓延していなかったという事情もあるかもしれないが、いずれにせよどちらの試合においてもマスク無しで大声を上げて応援していることに違いはない。
コロナ禍であることをまったく感じさせないこのような光景は、日本社会の感覚では大いに違和感をおぼえるのではないか。
警戒心の違いは文化や遺伝子の違い
一方、日本はどうか。感染拡大を理由に広島県などで成人式が延期になった、パンダで話題の上野動物園が休園になった、といったたぐいの話がネットニュースなどから伝わってくる。
片やアメリカでは大声を上げてのスポーツ観戦。それもマスク無しで。
日本よりもアメリカのほうが感染者が遥かに多いというのに(直近の日々の新規感染者数は100万人以上)、この日米の違いは何なのか。
これはもうワクチン接種率や医療機関の充実度といった医学的な条件や環境の違いでは説明ができそうもない。たぶん後述する文化や遺伝子の違いと思われる。
江戸城が決めたことに従う
日本は昔から中央集権型の社会だった。つまり中央にいる「お上」がすべてを決め、そのお上に任せておけばなんとかなる、といった文化だ。
たとえば江戸時代であれば江戸城が決めたことにすべての市民が従う。今でいうならば、行政が方針を決めて市民の生活を守るのも行政。市民はその行政に従う。
一方、アメリカでは伝統的に中央が決めたり中央に任せることを嫌う傾向にあり、自分の行動は自分で決め、自分の身は自分で守るという意識が強い。
その価値観の根底にあるのはいわゆる「小さな政府」。個人での銃の所持が認められていることなどはまさにその典型といってよいだろう。
経済の変化よりも感染者数の増減
日本のコロナ対策においてはルールを決める政府や知事など行政側が失策の責任を取らされることになりやすく(他国でも言えることだろうが)、そうなると行動制限などのルールが厳しい方向に向かってしまいがちなのは当然の成り行きだろう。
たとえば感染者の隔離期間などを決める際、3日間よりも1週間、1週間よりも2週間と厳しくしたくなる。もしルールを緩めて感染者が急増したりしようものなら市民や有権者から批判を浴びてしまうからだ。
もちろんルールを厳しくしすぎて経済が停滞するのも問題だろうが、経済成長率などよりも感染者数の増減のほうが身近な数字としてわかりやすいため、行政側としてはどうしても感染対策を重視せざるを得ない。
そんなこともあってか日本ではまさに今、オミクロン株の蔓延に対して飲食店の時間制限や人数制限などのルールを復活させる動きが強まってきている。特に東京都知事は大阪府知事と比べると規制強化が好きなように見受けられるが、気のせいか。
日本人は安心感の脳内物質が出にくい
仮に行政側が行動制限を緩めたり撤回したとしても、日本人がすぐにアメリカ人のような行動、つまりスポーツ観戦においてマスクを外して大声を上げて応援するような行動をおこすとは考えにくい。それは文化的な違いもさることながら遺伝子レベルでの違いもあるようだ。
最近の研究で、他の民族と比べて日本人はかなり心配性であることが遺伝子レベルでわかってきている。精神を安定させたり不安を取り除く効果があるとされる脳内物質「セロトニン」の分泌を妨げる遺伝子「セロトニントランスポーターS型」(あるいはSS型)を多くの日本人が進化の過程で持つようになったかららしい。
農耕民族だった日本人は一ヶ所に定住しながら田畑を耕しコメや野菜などを収穫して生き延びてきたため、きちんと収穫できるかどうか天候や災害など長期的なビジョンでの心配ごとが絶えなかった。
一方、狩猟民族はその土地で動物や植物をとり尽くしたら「別のエリアに移動すればよい」という楽観的な発想で日々の暮らしを続けてきたため、あすのイノシシを心配することはあっても日本人のような長期的な視野での不安とは無縁の生活だったと推測される。
そんな背景もあり日本人は遺伝子に違いが生じてしまい、コロナに対する恐怖心やマスク着用率などにおいても日米で違い生じているようだ。
アメリカ人の貯蓄率が低いのもそんなところに理由があると言われたりもしているわけだが、とにかく日本人が心配性であることはもはや多くの研究で明らかになってきている事実として知っておいて損はないだろう。
規制緩和の方向に一気に進む
さてここからが本題。では日米のどちらの考え方が今後のコロナ対策にとって望ましいのか。
つまり規制を最小限に抑えて企業活動などを止めずに経済の回復を優先するアメリカ型か(イギリスなども同様な方針に転換)、それとも経済や市民生活がある程度犠牲になっても行動を厳しく制限し感染者を最小限にとどめる日本型か。
その結論はそれぞれの国の事情などによって異なってくるはずで一概には決められないだろう。実際にヨーロッパという狭い範囲内でも国によって方針が分かれていると聞く。
ただ、大きなトレンドとして今後は規制を緩めていく方向に向かうような気がしてならない。それも一気に加速して。たぶん日本もそうなるのではないか。
その最大の理由はオミクロン株の驚異的な感染力による感染者の激増と、症状が比較的軽いとされているからだ。
ユナイテッド航空、3000人が欠勤
感染者が激増している状況下で感染者の隔離期間などを厳しくすると別の弊害が生じてしまう。病床の確保がどうのこうのといった問題ではない。さまざまな場所で働く人がいなくなってしまうという社会の機能不全だ。
実際にヨーロッパでは鉄道やバスなど交通機関の職場において欠勤者が相次ぎ運行ができなくなったり、公務員などでも同様で学校の教職員やゴミ収集の職員も欠勤が相次ぎ市民生活が回らなくなってきている地域が増えているらしい。
もっと問題が深刻なのは病院だろう。職員の多くが無症状でも自宅待機を余儀なくされ出勤ができず、患者を受け入れても医者も看護師もいないといったトラブルも起こりつつあるようだが、まるでブラックジョークだ。
またアメリカでも昨日のニュースによると、ユナイテッド航空の職員3000人以上がコロナによる隔離で欠勤を強いられ、多くのフライトがキャンセルになったらしい。感染拡大を防ぐための隔離措置が逆に大きな混乱を招いてしまっている典型といってよいだろう。
自宅待機や隔離期間は短くなる方向へ
先ほど、アメリカ人は上から決められたようなことに従うことは好まないと書いたが、必ずしもそうとは限らない。実際に半年ほど前まではラスベガスでも州政府がさまざまな行動規制を発表し、それなりに市民もそのルールに従っていた。
また役所ではないが、各企業などが厳しいルールを社員に強制することは今でもよくあることで、前述のユナイテッド航空ではワクチン接種が済んでいない者に対して出勤を禁じたりもしている。
同様なことはここラスベガスのカジノホテルなどでもいえ、またそのカジノホテルでは利用客にマスクの着用を求めている。
というわけで誤解してほしくないのは上からの規制などがまったくないわけではないということ。
そして言いたいことは、もともと上からの規制があまりなじまなかったアメリカ社会において、今回のオミクロン株の爆発的な拡大を機会に今後は規制が一気に緩和されそうだ、ということ。
具体的にはワクチン接種やマスクの着用は引き続きさまざまな場所で求められるだろうが、感染者や濃厚接触者に対する隔離や行動規制などは大幅に緩和されるはずで、実際にすでにラスベガスの多くの職場が感染者や濃厚接触者に対する自宅待機期間などを縮小し、症状がおさまったら出勤してもかまわないというルールに方針転換してきている。
中国の動きによっては世界中が混乱
日本も遅かれ早かれ緩和する方向に方針転換するものと思われるが、不気味なのは中国だ。今後も行動規制を緩和しない可能性がある。
中国ではオリンピックを控えているためか、感染者が見つかるとその都市全体をシャットダウンするなど非常に強力な「ゼロコロナ政策」を打ち出している。
これを聞いて、「他国の規制など関係ない」などと思っていたら、それは考えがあまい。自分自身にも影響が及ぶ可能性がある。
というのも、いわゆるサプライチェーンの混乱だ。完成品の製造を中国に依存している企業はもちろんのこと、部品を中国から調達している企業もそのシャットダウンにより自社の製造計画、そして物流などが滞る可能性がある。
もしその懸念が現実のものとなれば、世界中の人々が商品の不足により不便を強いられるばかりか、物価高騰の影響を受ける。今後の中国の動きから目が離せない。
今後のラスベガスは「平常」に向かう
ラスベガスとあまり関係ない話ばかりになってしまったが、最後にラスベガスの今後について予想してみたい。
すでにカジノホテルでは、ルーレットやブラックジャックといったテーブルゲームからアクリル板を完全に撤去するなど、コロナ前とほぼ同じ状態に戻っているわけだが、今後さらに「平常」に向う動きが加速するものと思われる。
新たに出現する変異株が凶悪なウイルスにでもならない限り、半年ほど前まで存在していたような規制、つまり劇場やレストランでの人数制限やカジノ内でのソーシャルディスタンスといった規制が復活することはもはや考えにくい。
とはいっても新型コロナウイルスが完全に消滅しない限り、いわゆる「ウィズコロナ」という形でウイルスとの共存は求められ、劇場やカジノ内でのマスク着用のルールは引き続き存続する可能性がある。
またコロナ前とまったく同じに戻れるのかという意味でやや気になるのは、ラスベガス名物ともいえるゴージャスな食べ放題形式のバフェ、そしてナイトクラブの運営方法だ。
バフェは、コロナ前の方式のままでは不特定多数の者が同じトングを触ることになり何らかの工夫が求められる。実際にあらかじめ料理を盛り付けた小皿を並べるといった方式が採用され始めているが、それがそのまま今後も定着するのかどうかの予測はむずかしい。
またナイトクラブは極度の密の環境が形成されることから、入場の際のワクチン接種証明だけでは安心できないという者が一定数いるはずで、やはりこちらも今後の工夫が求められる。
というわけで、細かい部分においては未解決の課題がいくつか残っているが、平常に向かって進み続けるていることは間違いなく、ラスベガスファンにとってはこの街の復活に期待してよいのではないか。
ただ覚えておいたほうがよいのは「ウィズコロナ」の社会になっているということ。それだけは忘れないようにしたい。
つまりカジノディーラーを含むホテルのスタッフ、そして館内や街ですれ違う不特定多数の者はコロナ感染者の可能性があるということ。マスク着用や手の消毒などは引き続き継続する習慣を身につけておいたほうが賢明だろう。
それにしてもマスク無しで大騒ぎしている冒頭の2つの動画、心配性すぎるのか何度見ても違和感を覚える。はやり遺伝子の違いということか。
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コメント(2件)
こんにちは。沢山の情報ありがとうございます。
ラスベガスのPCRを受けられる所で日本帰国の証明書類に対応している機関があれば教えていただけないでしょうか。
日本の「自己責任」は建前な気がします。
言い逃れといいますか。
本当は目上の権威の圧力なのに。
一方アメリカはガチの自己責任らしいですね。
自立が当たり前という。
日本では考えられません。
特に障害者(僕はADHDとASD)は。