中止か続行か。当事者にとっては悩める究極の選択にちがいない。現在のラスべガスの不況を考えると、コロナ前に計画された建設プロジェクトの多くは中止にしたいのが本音だろう。
それにもかかわらず、なぜか現時点では続行中か、もしくはほぼ完成に近づいてしまっているプロジェクトがほとんどだ。
本来であれば、アメリカ人経営者が大好きな「サンクコスト論」(後述)を理由に、中止や保留を決めるプロジェクトが多く出てきそうなものだが、現時点ではその傾向はあまり見られない。
完成しても新型コロナの成り行きが不透明な現状では採算性の見通しがまったく立たず、完成後の運営などが大いに心配されるわけだが、やめるにやめられない事情があるのだろう。今週は、そんな悩める建設プロジェクトをいくつか紹介してみたい。
サンクコストとは
各プロジェクトを紹介する前に、経済学の教科書などにしばしば登場する「サンクコスト」についてふれておきたい。
サンクコストのサンクは「サンキュー」の「Thank」ではなく、「沈む」の「sink」の過去分詞「sunk」。直訳すれば「沈んで消えてしまった費用」といったところか。
一般的には「埋没費用」と訳されているが、ようするに「すでにつぎ込んでしまった費用、資金、労働、苦労、時間」などのこと。そしてこれらサンクコストは当然のことながら、その後そのプロジェクトに対してどのような判断や変更を加えようが、決して戻って来ることはない。
経済やビジネスの分野でこの言葉が使われる際はほとんどの場合、ただ単に「埋没費用」といった単語としてよりも、プロジェクトが失敗するかもしれないとわかった際に、「つぎ込んでしまったおカネを無駄にするわけにはいかない。ここでやめたらもったいない。今さら中止にするわけにはいかない」などといった発想でプロジェクトをそのまま続行すると、さらなる無駄な費用や時間を失うことになりかねないので要注意、といった教訓として使われることが多い。つまり「いさぎよい前向きな撤退も重要」という教えだ。
逆の方向で使われることもある。たとえばプロジェクトに失敗して大金を失ったあと、良いプロジェクトへの投資機会に恵まれた際、成功の可能性があるのなら投資をすべきだが、前回の失敗を引きずり「もうかなりのおカネを使ってしまった。これ以上つぎ込むのはもったいない」と、新たな投資をためらってしまう心理が働きやすい。
しかし前回の失敗はもはや戻って来ない完全に消えたサンクコスト。その失敗は次回のプロジェクトとは切り離して考えるべきなのである。
コンコルドの失敗
サンクコスト論で必ずと言ってもよいほど登場する失敗例がコンコルドだ。
コンコルドとはもちろんフランスとイギリスが共同開発した夢の超音速旅客機のこと。壮大なプロジェクトを立ち上げたところまでは良かった。
しかし完成や運行が現実のものになってくると、さまざまな問題が待ち受けていることが発覚。騒音、燃費、座席数、空港施設、運賃の高さからくる需要の少なさなど、どれをとっても簡単には解決できない難題ばかり。
当然のことながら計画の打ち切り論も浮上したが、プロジェクトを止めることはできなかった。
世論や責任論、さらには政治的な理由などもあったようだが、やはり「ここまで巨額をつぎ込んだのに中止はもったいない」、「つぎ込んだ巨額の費用をみすみす捨てることなどできない」といった感情が働いてしまったことは想像に難くない。
結局プロジェクトは続行され夢の超音速旅客機は完成したが、実用面でも採算面でも現実的ではないということで需要が少なく、試作機などを除くとわずか 16機を完成させただけで製造中止に。その16機も現在はすべて退役し(1機は墜落事故)、プロジェクトは解散。
採算性が疑問視された段階で中止にしていれば、日本円で兆単位の費用を失わなくて済んだとされ、今ではこのコンコルドの失敗はサンクコスト論の教訓の代表例として広く語り継がれることになってしまった。
サンクコスト論は個人の生活の中にも
サンクコスト論は個人レベルでも無縁ではないので知っておいたほうがよい。というか、知らないと損をする。
それを知った上で残りの人生を過ごすのと知らずに過ごすのでは、金銭的にも時間的にも大きな違いが生じてくることは間違いない。それどころか味覚的にも体感的にも違ってきたりする。
たとえば「作ってしまった料理を食べてみたら美味しくなかったが、捨てるのはもったいないので我慢して食べた」、「シューズを買ってみたが、靴ずれがして足が痛い。でも捨てるのはもったいないのでそのまま使う」といった行動は、広い意味でのサンクコスト論と関係しており、今の例では味覚的にも体感的にも不快な思いをすることになる。
以下は経済学の教科書などに登場するケーススタディや、日々の生活の中でもしばしば直面するような参考例だ。
つまらない映画は時間の無駄
映画のチケットを 1000円で買ってその映画を観に行ったら、最初の 5分か 10分を観た段階で、つまらない映画だと気づく。観るのをやめて退席することも考えたが、「せっかく払った 1000円を無駄にするのはもったいない」との判断で、2時間もその映画を観ることに。
このケースでは、支払ってしまった 1000円は退席してもしなくても戻って来ないサンクコスト。退席しないと 1000円と2時間の両方を無駄にすることになるが、退席すれば 1000円の損だけで済む。
払ってしまった家賃は戻ってこない
家賃30万円を払ってオフィス街に飲食店を開業。土曜日や日曜日は客がほとんど来ないので休業にしていたが、1日あたり1万円の家賃がもったいないと考え、週末もオープン。結局、週末の人件費などのぶんだけ無駄な経費を使うことになり赤字に。
このケースでは週末に営業しようがしまいが家賃は戻ってこないサンクコストなので、それならば家賃のことは頭から切り離し、週末の営業の採算性だけを考えながら判断すべきだった。
新たにおカネを使うべきサンクコスト論も
これもよくケーススタディとして登場する例だが、先ほどのつまらない映画とは逆に、観たい映画、楽しい映画の場合。
1000円で前売りの映画チケットを買って映画館に行ったら、チケットを自宅に忘れてきたか紛失したことに気づく。たまたま満席ではなかったので現場で新たに 2000円の当日券を買えることがわかった。
この場合、観るのをあきらめるか、当日券の購入かの二者選択となるわけだが、「すでに 1000円を払っている。当日券を買ったら合計3000円で観ることになる。それは高すぎる」といった考えで、映画鑑賞をあきらめる人もいるだろう。
しかし前売り券の1000円は完全に消えたサンクコスト。観るのを断念しようが、新たにチケットを買おうが戻って来ない。つまり今後の行動とは無関係な 1000円なので、ならば 2000円でその映画を観る価値があるかどうかだけで今後の行動を決めるべき。
アメリカ人のほうが、あきらめが早い
このサンクコスト論におけるさまざまなケーススタディは、日本人に向けられた教訓となりやすい。というのも、日本人のほうが「もったいない意識」が強いためか、いさぎよくあきらめることが苦手な傾向にあるからだ。
また日本には、簡単にあきらめてしまうことを良しとしない文化や価値観があることも無視できない。我慢、忍耐、努力、辛抱などは、善か悪かと言ったら善の言葉だろう。
結果的に、たとえば一度始めたビジネスは 1年や2年程度うまく行かなくても「もう少し頑張ってみるべき」、「投げ出してはいけない」といった感情が働きやすい。「石の上にも三年」といったことわざは、まさに日本の美学の象徴といってよいのではないか。
「石の上にも三年」はありえない
一方、アメリカでは日本と比べると「ダメだったらさっさと発想を切り替えて新たなことに挑戦すべき」といった考えになりやすいし、それを悪い発想と考える者は少ない。
日本とアメリカ、どちらが正しいかは意見が分かれるところだろうが、少なくとも当地ラスべガスにおいては「石の上にも三年」といった発想はまずありえない。
実際に、開業したばかりのビジネスが 1年や2年で消えてしまうことはよくあることで、レストランなどの場合、むしろ3年も続いている店のほうが珍しいのではないか。
特にラスべガスでいえば、カジノホテル内のレストランやアトラクションなどは、「あんなにおカネをかけてゴージャスなインテリアにしたのに、あのレストラン、もう消えちゃったの?」といった話は枚挙にいとまがない。
一方、日本の高級ホテル内には 20年も30年も続いている店がたくさんある。それが良いことなのか悪いことなのかは別にして、いずれにせよ日米間で「あきらめ」、「撤退」、「忍耐」、「我慢」といった部分において、価値観に大きな違いがあることは間違いないだろう。
中止や中断が当たり前のはずだが…
これまでラスベガスでは数々のプロジェクトが発表されてきた。特にリーマンショック直前の時期における新規の大型カジノホテルや高層コンドミニアムの建設ラッシュならぬ、計画発表ラッシュはすごかった。
しかしそれらの多くは実現していない。計画が発表されただけで実行に移されなかったものもあれば、実行に移されたあと中止になったものもある。アメリカ的な発想としてはそういった事例はよくあることだ。
その延長線で考えると、新型コロナという予期せぬ災難に見舞われてしまった今、コロナ前から計画されていたプロジェクトは中止、中断、保留といったことになっても不思議ではないが、意外とそうなっていない。
コロナがわかっていたら間違いなく中止
各プロジェクトごとに、やめるにやめられない事情があるのだろう。もしくはコロナ後の将来に期待しているのか。
地元メディアなどではその理由や事情をあれこれ推測したり分析したりしているようだが、各プロジェクトの当事者の企業からは特になんの説明もない。というか、中止にする場合は理由を説明する必要があるだろうが、続行している限り理由を説明するほうが不自然だ。
いずれにせよ、多くのプロジェクトが中止になることなく継続中であるわけだが、業界関係者の中には「このあと中止や中断になるプロジェクトも出てくるはず」と予測する者もいるし、また多くの関係者が、「現在進行系のプロジェクトのほぼすべては、もし建設開始前にコロナ騒動が始まっていたら、間違いなく中止にしていただろう」と思っているようだ。
サンクコストの話などで長くなってしまったが、以下に現在継続中のプロジェクトを列挙してみた。
サンクコストが無駄にならないよう、完成後の成功を祈るばかりだが、もし今の段階で採算が取れないことがほぼ確実であるならば、たとえ8割、9割完成していたとしても、これ以上の資金投下は避けるべきだろう。特に税金が注ぎ込まれているプロジェクトであれば、なおさらのことだ。
マディソン・スクエア・ガーデン
ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)を所有する会社と、ラスべガスでベネチアンホテルとパラッツォホテルを運営するサンズ社との共同プロジェクトによる多目的イベントホール「MSG Sphere」。Sphere とは球体のことで、実際に完成したら球体の建造物になる予定だ。
建設工事は、両ホテルの東側の空き地で 2018年秋から進められてきたが、今年に入って建設現場でコロナ感染者が出たため一時中断。
さらにコロナ不況でコンサートやイベントの需要が減ることが予想されるため、このまま建設工事は中断されたままになるかと思われていたが、この夏から復活。正式な開業時期などは流動的で、このあと工事が中断される可能性がないわけではない。
なお、完成予定図など、この施設に関する詳しい内容はバックナンバー 第1131号 に掲載。
リゾートワールド
元スターダストホテルの跡地で建設が進められている大型カジノホテル「リゾートワールド」。
経営の主体はマレーシアに拠点を置くリゾート・レジャー業界の大手ゲンティン社で、創業者(故人)も現経営陣も華僑というチャイニーズ系の企業。ホテルのテーマも「チャイニーズ」。
開業は来年の夏を予定しているが、コロナの状況によっては延期になるかもといった声も。ちなみにこのホテル内に別ブランドの Crockfords Las Vegas という高級ブティックホテル(230室)も入居する予定。
サーカ
ダウンタウンの電飾アーケード街「フリーモントエクスペリエンス」の西端で建設が進められているカジノホテル「Circa」。
現時点における開業時期は、カジノ施設が今年の 10月末、ホテルの客室棟が 12月を予定しており、多少遅れることはありそうだが、開業することはほぼ間違いないと思われる。
客室数は 777部屋で、ラスベガスのホテルとしては小規模だが、1000席を誇る世界最大のスポーツブックが自慢。
現在工事現場の周囲はフェンスで囲まれており、建物全体などの写真を撮ることができないが、全体の様子などを知りたい場合は このホテルの公式サイト まで。
以下は、電飾アーケード街からこのホテルのフェンスを撮った写真。(写真内の右上に見える白い部分が電飾アーケードのディスプレー装置)
超巨大な新コンベンションセンター
従来から存在しているラスベガス・コンベンションセンターの西側の空き地で建設が進められている最新の巨大コンベンション施設。
西側にあるということで、その名も Las Vegas Convention Center West Hall。すでに9割以上が完成している。
実際に現場に行ってみると、あまりにも巨大すぎてその全容を確認したり大きさを体感することはできないが、公式サイトによると床面積は 140万平方フィート(約13万平方メートル)というから、一辺が 360メートルの正方形の土地と同じサイズということになる。日本における面積の単位「東京ドーム」(46,755平方メートル)を使うならば、その 2.78倍。
この West Hall は、毎年1月初旬に開催されるラスべガス最大のコンベンション「CES」(ハイテク業界の見本市)に照準を合わせて建設されたとされているが、その CES の 2021年の開催がコロナの影響で中止となってしまったため(オンライン開催のみ)、無用の長物になってしまうのではないかとの懸念も。
というのも、CES以外のコンベンションではこれほどのサイズを必要としないばかりか、今後コロナが終息して 2022年以降 CESが開催されるようになったとしても、コンベンション自体の需要が大きく減ることが予想されているからだ。
ちなみにこの施設の所有・運営の主体はラスべガス観光局なので、税金で建てられている。その財源は地元民による消費税などではなくホテル税、つまり観光客などがホテルに宿泊する際に課せられる税金なので、地元の納税者は比較的おとなしいが、だれが払った税金であれ、大切に使っていただきたいものである。
ちなみにホテル税の税率は宿泊料金の約13%。(この税率はひんぱんに変動しているばかりか、ストリップ地区とダウンタウン地区でも税率が微妙に異なっているが、おおむねこの程度の税率なので決して低くない)
シーザーズ・フォーラム
シーザーズ社が、世界最大の観覧車「ハイローラー」のすぐ東側の空き地に建設したコンベンション施設「CAESARS FORUM」。
実はこの施設、今年の4月に開催が予定されていたビッグイベント「NFLドラフト」の会場に使われる予定だったため、すでに完成しているが、前述の通り、コロナ終息後でもコンベンション需要が大きく低迷することが予想されているため、こちらも無用の長物となることが心配されている。
ちなみにフロア面積は 55万平方フィート(約51,000平方メートル)なので、上記の West Hall の約3分の1。
地下交通システム
電気自動車のテスラ社の創業者として知られるイーロン・マスク氏が率いる地下交通システムの開発会社 The Boring Company が、ラスべガス観光局から受注して建設が進められている地下交通システム。まだ運行は開始されていないが、トンネル自体はほぼ完成している。
運行が開始されればコンベンションセンター間の移動が便利になるばかりか、今後ホテル街など広範囲に路線を拡大することも計画されているため、ラスべガスの市街地における移動手段が劇的に改善される可能性もあるが、これもコロナの影響で当面は需要がないことから(現在コンベンション自体が開催されていない)、今後どのようにこのプロジェクトが発展していくのか未知の部分が多い。
ちなみにこれも財源はホテル税が中心なので、仮に無用の長物となってしまったとしても、地元の納税者からの批判は比較的少ないと予想されている。
パラッツォに隣接する高層コンドミニアム
パラッツォに隣接する高層コンドミニアム「The St.Regis Residences」(50階建、398ユニット)は、日本でいうところのタワーマンション。
リーマンショック直前の高層コンドミニアムの建設ラッシュ時(2007年)にスタートした建設工事は、その後リーマンショックの大不況に直面し、低層階の骨組みが組まれたところで打ち切り。サンクコストの概念としては当然の判断といったところか。まさにリーマンショックの遺物といってよいだろう。
近年の景気回復により、完成させれば物件を販売できると判断。昨年、クレーンを改めて設置し建設を再開したものの、今度はコロナショックが直撃し、現在に至っている。
現時点では建設工事を完全にストップしたわけではなく、完成を目指す方針に変わりはないようだが、今後どうなるかは不透明な部分が多い。すべてはコロナの成り行き次第といったところか。
ちなみにこの写真は現在の外観だが、これはフェイク、つまりニセモノ。といっても合成写真という意味ではない。写真自体は本物で何の修正も加えていない。
実はこの外観、完成後の外壁とそっくりにデザインされたビニールシートが貼られているだけ。したがって写真をよく拡大してみると、わずかに波を打って見えたりする部分が確認できるはずだ。
シートを貼った理由はゴージャスで華やかであるべきストリップ大通りの景観を維持するため。というのも、リーマン・ショックで工事を中断した時の状態は鉄骨がむき出しになったままのぶざまな姿。パラッツォホテルとしては自分の目の前の場所にそんな「工事現場そのもの」を何年も放置するわけにはいかないということでシートが貼られた。はたしてこのシートが取り除かれる日が来るのだろうか…。
今週の記事はここまで。
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