3月といえば日本では卒業式や転勤など別れの季節。
当地ラスベガスの3月はそのような季節ではないが、今週は、長年にわたりラスベガス屈指のカジノホテルとしてストリップ地区に君臨してきた名門ホテルが消えてしまうという寂しい別れの話。
その消えるホテルとは、67年の歴史を誇るトロピカーナだ。泊まったことがあるという読者も少なくないのではないか。

往年のトロピカーナホテル。現在とほとんど変わっていない。(2005年7月撮影)
世界に冠たるラスベガスの目抜き通り「ストリップ」。
今では光り輝くゴージャスな繁華街としてその名を世界に知らしめているが、1940年代まではエルランチョ、ラストフロンティア、フラミンゴなどほんの数軒のホテルが点在するだけの荒涼とした街道だった。
そんな寂れた街道に 1950年代の建設ラッシュで独創的な大型カジノホテルが次々と誕生。出現順に列挙するとこんな感じになる。
1950年 デザートイン
1952年 サンズ
1952年 サハラ
1955年 リビエラ
1955年 デューンズ
1956年 ハシエンダ
1957年 トロピカーナ
1958年 スターダスト
建設ラッシュにより誕生したこれらホテルは、当時ストリップ地区よりも先に繁栄していたダウンタウン地区のホテルよりも遥かに大規模かつ独創的だったこともあり、ラスベガスの中心地がダウンタウンからストリップに移るきっかけにもなった。
その後の 30~40年間、ラスベガスを代表するゴージャスなホテルとして一世を風靡し、フランクシナトラ、サミーデイヴィスJr.、ディーンマーティンなど往年の大スターが毎晩歌っていたのもこれらホテルのステージだった。

トロピカーナホテルのプール。巨大テーマホテルの建設ラッシュまでは、豪華プールの草分け的存在として有名だった。
個人的な話になるが、ラスベガスを最初に訪れた1979年、ストリップの北端に位置していたサハラホテルから南端のハシエンダホテルまで延々と歩いたことがある。
どのホテルも恐れ多いほどの威光を放っており、映画や写真などでしか見たことがなかったネオンサインの派手さには度肝を抜かれたものだ。
ちなみにすでにその時期には 60年代に登場していたアラジン、シーザーズパレス、サーカスサーカスといった個性豊かなホテルも加わっていたので、多様性の中でゴージャスに光り輝く現在のストリップに近い光景が形成されていた。

「下半身は水の中」というユニークな環境の「プール内ブラックジャック」。知る人ぞ知る有名なプールだった。(1999年、筆者撮影)
時は流れて90年代になると、第2世代とも言える大型テーマホテルの建設ラッシュが始まり、50年代、60年代に建てられたホテルの存在感は次第に薄れつつあった。
それでも当サイト「ラスベガス大全」がスタートした 90年代後半になってもデューンズホテル以外はそれなりにストリップの風景に欠かせない存在として個性を発揮していたことは間違いない。
(デューンズは 1993年に爆破解体。ハシエンダは1996年に営業を打ち切っていたが建物自体は存在していた)
それから20数年が経過した今、50年代に建てられた上記8つのホテルで残っているのはなんとサハラとトロピカーナだけになってしまった。
そしてそのトロピカーナがあと2週間ほどで67年の歴史に幕を下ろすというから何とも寂しい限りだ。
90年代以降に初めて当地を訪れた読者にとってはトロピカーナの存在など意識したこともなければ、その消滅に哀愁を感じることもないだろう。
一方、古くからのラスベガスを知る者や宿泊経験者にとっては今回のトロピカーナの消滅は一つの時代の終わりであり、当時の様子が目に浮かぶのではないか。

現在のトロピカーナホテルのカジノ内の掲示物。4月2日の営業停止以降のカジノチップの換金に関する注意書き。
というわけで、古いものが惜しまれながら消え、新しいものが誕生するというラスベガスの栄枯盛衰を振り返ってみたわけだが、そのトロピカーナが消えたあとに何が誕生するのか。
それはラスベガスへ本拠地を移すことが決まっているメジャーリーグ球団「オークランド・アスレチックス」のためのスタジアムだ。
(約1年前のこの週刊ラスベガスニュース第1352号で報じた建設予定地はその後変更になりトロピカーナ跡地になった)
スタジアムが完成しアスレチックスが実際にラスベガスでプレーするようになるのは 2028年のシーズンからのようだが、何ごとにおいても計画が変更になったり頓挫したりするラスベガスのこと、今後どうなるかはわからない。球場のとなりに新たなホテルを建設するといった話すらある。
また、交通渋滞を招くなどの理由から、ラスベガス市長がストリップ地区での建設に異論を投げかけるなど紆余曲折があるかもしれない。
ただハッキリわかっていること、それはトロピカーナが4月2日に営業を打ち切るということ。そして遅かれ早かれ爆破解体される運命にあること。それだけは間違いないだろう。
さて長くなってしまったが、50年代に登場した8つのホテルのその後を以下に列挙して今週の話題を終わりとしたい。
コンベンションセンターとスタジアム以外はすべて新しいカジノホテルに生まれ変わっていることがわかる。
デザートイン → ウィン
サンズ → ベネチアン
サハラ → 現存
リビエラ → コンベンションセンター
デューンズ → ベラージオ
ハシエンダ → マンダレイベイ
トロピカーナ → スタジアムに
スターダスト → リゾーツワールド
コメント(6件)
いつも興味深い記事ありがとうございました。
先週ラスベガスに滞在していました。
ご挨拶したかったです。
天井のステンドグラス+白基調の内装が綺麗で好きなカジノで、特に写真にあるトロピカーナのクラップステーブルにはよくお世話になりました。一時期頻繁に泊まっていたので寂しいです。
掲載頂きありがとうございます。
天井のステンドグラス+白基調の内装が綺麗で好きなカジノで、特に写真にあるトロピカーナのクラップステーブルにはよくお世話になりました。一時期頻繁に泊まっていたので寂しいです。
掲載頂きありがとうございました。
久しぶりにサイトを覗いて驚きました。20年ほど前、トロピカーナでリック・トーマスのマジックショーを観たのを思い出しました。
間抜けな話で恐縮です、今日(4/11)この記事を拝見しました。前にもとりあげていただいたので、いずれは、と思っていましたが、こんなに早かったのかと驚き、また寂しい限りです。ちょっと長くなりますが、もしかすると前世紀の?思い出をいくつか書かせてください。
うたい文句は「ベガスの入り口」空港に近く、トロピカーナ通りから遠いほうの宿泊棟からは、駐機場の飛行機が丸見えでした。
宿泊棟への通路では南国の鳥のショウ。生きたオウム(か何か)が飛び回るのを子供たちが嬉しそうに見ていました。通路を折れるとバフェイ、その向こうにはプールがあり、水中BJの実演は見ることができませんでしたが、テーブルはコロナ前まで残っていました。
掲載いただいた写真の天井にレールをとりつけ、それにぶらさがってアクロバットを見せる(で魅せる?)アトラクションがありました。
庶民の味方!$5のBJでもレーティングしてくれて、宿泊代から即割引してくれました。
プチ博物館併設のスポーツブックは冗談みたいなかわいいもので、改修でなくなった数年後に大画面(今のMGMの3倍くらいあったはず)をもったスペースが新装開店!でも数年でレストランになってしまいました。晩年はカウンター1つとチケットの自販機2台に・・・
日本のGWはNBAのPOシーズン。なのにTNTが部屋で見られない、と言ったら、翌年には映るようになりました(私が言ったせいではないのでしょうが/苦笑)
乱射事件に関連してFBIの捜査がはいり、アテンドしてくれていたカジノホストはそれに嫌気がさして引退してしまいました。
最後の訪問は昨年9月。コロナのおかげで顔なじみのスタッフはほとんどいなくなっていました・・・
ディーラーさん、ピットボス、カクテルレイディのみなさんに Good Luck!
最後になってしまいましたが記事をありがとうございます、乱筆長文たいへん失礼いたしました。
80年代に泊まったホテルが無くなってしまうのは寂しいけど時間の経過を感じます。たまたまどうなって居るのか詮索したら解体と……古き良き時代お世話になりましたありがとうと、言いたいです。