先月のこのコーナーでお伝えした通り、カナダを本拠地とするサーカス団「シルク・ドゥ・ソレイユ」(以下、シルク)の最新ショー MAD APPLE が当地ラスベガスのニューヨークニューヨーク・ホテルで正式に開幕となった。さっそく観てきたので今週はそれを徹底考察してみたい。
シルクからの脱却、過去は失敗続き
ラスベガスでは常に複数のシルクの常設ショーが行われている。一般的にシルクといえば、手に汗握る迫力のアクロバット・独特な衣装とメイク・肉体の強さと美しさ・英語力不要、などがイメージされるわけだが、逆に言えばシルクのコアなファン以外には「どれも同じっぽい」という印象を与えてしまうのも否めない。
それを打破するためなのか、数年に一度「今までのシルクとは一味違う!」を売りにした新しいショーを開始したりするのだが、残念なことに毎回結果は芳しくなく、開始・撤退を繰り返してきた。
失敗作に存在していた共通項
その失敗作の筆頭ともいえるのが、2008年に鳴り物入りで登場したマジシャン、クリス・エンジェルとシルクのコラボ「BELIEVE」だった。
ビッグネーム同士のコラボで注目されたが、開幕直後から酷評の嵐。その後、幾度ものリニューアルや名称変更を繰り返すも結果的にシルクとクリスは決別。
それでも場所を変えてクリス単体のショーとして新たに再開してからは評判も上々となったことから、BELIEVE に始まった一連の流れは「シルクと言えども合わないマッチアップもあるのだ」と世に知らしめる一件となった。
その他にもいくつかのショーが出ては消えていき、近年では2019年末~2020年頭に正味4か月という短命で打ち切りになった R.U.N.(詳しくは過去記事)が記憶に新しい。
そして失敗に終わったどのショーにも、「いわゆるシルク」のイメージを打ち破ろうとした「ちょっと過激な内容」、そして「そこそこ英語力が必要」という共通項があったことは見逃せない。
新ショーの宣伝内容に高まる不安
さて、今回始まった MAD APPLE のキャッチコピーは NYC’s wildest night out comes to the Las Vegas stage!
ニューヨークのワイルドなナイトライフがラスベガスのステージへ! みたいな意味合いだが、これだけを読んでも意味不明だ。
説明文も「マッドアップルとは、NYにインスパイアされたアクロバット、音楽、ダンス、マジック、コメディを交えたシルクの美味しいカクテルのこと」などと続き、全くもってワケがわからない。
もちろん他のシルク作品も言葉で表現するのは難しいのだが、MAD APPLE の説明から浮かび上がる「シルクっぽく無い」「全く違うコンセプト」「ワイルド」「コメディ」などの単語からは、前述の「いかにも短命に終わりそう」な要素が気になってしまう。
ちなみに詳細は先月の記事にまとめてあるが、このショーは2019年にシルクに買収されたTWE社が実質的な制作の中心であるという点も、外部の大物プロデューサーが進めた R.U.N.を彷彿し、見る前から「長くは続かないかも…」という疑念を拭えずに会場へ足を運んだ。
持ち味を生かした予想外の高評価
結論からいうと、ついにシルクの持ち味を生かした尖ったショーが出来た! というのが鑑賞後の率直な感想だ。
バラエティショー特有の演者切替え時にありがちな間延び感がなくテンポも良い。さらにエンディングのみならず中盤にも発生したスタンディングオベーション、沸き立つ会場、終演後に興奮冷めやらぬ様子で好意的な感想で盛り上がる周囲の観客など、おそらくこれから複数出てくるであろうメディアからのコメントでも高評価が多くなることが予想される。
前述の通り MAD APPLE は複数の演目が入れ代わり立ち代わり行われるバラエティショー。
この日の演目数は合計15、その内容はジャグラー、シンガ―、エアリアルダンサー、コメディ、影絵師、ブラスバンド、バスケ、フリースタイルラップ、アクロバット、ウィールオブデス、ドラムライン… などであったが、他にも多数のキャストが控えており、出演者はローテーションしながら内容は頻繁に変わるというからリピーターにとっても期待できそうだ。
ジーンズなどで NYっぽさを演出
各演目は5〜10分ほど。キャスト入替の繋ぎ方が絶妙で、中だるみすることなく一貫して進んでいくところもよい。
他のシルクのショーでも行なわれている定番のアクロバット演目も複数出てくるが、いつもの独特のコスチュームではなく、ジーンズなどのストリート風衣装にすることでダイナミックさは残しつつもシルク風味は軽減、ニューヨークっぽさを加えることに成功している。
実際のニューヨーカーがどう感じるかは不明だが、タイムズスクエア辺りの大道芸人や、街の熱狂、人種のるつぼ/ダイバーシティなどの雰囲気が確実に伝わってくることは間違いない。
さらに終演後、劇場から出ると、そこはニューヨークの街中を模したホテル「ニューヨーク・ニューヨーク」の中なので、一気に現実に引き戻されないのも心地がよい。このショーが別のホテルで行われたとしたら、終演後の印象は全く違うものになっていたことだろう。
非英語圏の観客の取り込みは困難
ニューヨークの雰囲気の演出には成功しているものの、残念ながらある程度の英語力がない観客には厳しい部分があるショーと言わざるを得ない。
というのも、このショーの中核を占める「スタンダップコメディ」(Stand-up comedy: 以下、スタンダップ)は、1人のコメディアンが機関銃のごとくしゃべり倒すもので、単に英語力だけでなく、ゴシップ、時事、政治、歴史などの背景がわからないと全く理解できないからだ。
また、フリースタイルラップの演目でも、観客からその場で出される複数のお題を元に即興で笑いのラップを披露する大喜利形式となるため、早口のラップの歌詞が聞き取れないと話にならない。
それでも大半は英語力なしで楽しめる
この日の演目数は合計15。その内容は、しゃべりで成り立つアクトは3人。それぞれ10分ほどだったので合計すると約30分。ショーの長さが約80分なので、英語力が必要なのは全体の3割程度であり、大半は言葉が無くても楽しめる内容だ。
とはいえ、コメディ部分は物凄く盛り上がるだけに、会場内の大爆笑の渦中、意味がわからずポツンとしてると実時間以上に長く感じてしまうかもしれない。
「英語がわからない人」「他の国から来てる人」への配慮は一切ないが、もちろんココを妥協すると、どっちつかずになってしまうので、だったら振切った方が良い結果になるはず。やはりこのショーとしては語学力への配慮などは不要でよいということだろう。
アメリカのコメディは放送禁止用語も
ポリコレ(political correctness: 不快、不利益、差別などを避ける対応や対策)が叫ばれて久しいアメリカではあるが、コメディアンは治外法権的なのか、『日常会話では誰もが触れないようなギリギリのラインを、いかに笑いに持っていけるか?』で評価されがちだ。
そんなアメリカの文化的背景や価値観がよくわかる好例が、先日の物議をかもしたアカデミー賞でのウィル・スミスとクリス・ロックの一件。
日本では暴力を振るったウィル・スミス擁護派が多かったようだが、アメリカの世論からの批判やアカデミーからの処分はウィル・スミスのみで、コメディアンのクリス・ロックはほとんどおとがめ無し。アメリカのスタンダップの会場に身を置けば、そのへんの事情を肌で感じられるはずだ。
この日のネタも爆弾発言の嵐で、コメディの定番である下ネタや、トランプ、オバマ、バイデンなどの政治家はもちろんのこと、銃規制における憲法の成立ち、人種問題など、日本ではとてもじゃないけど笑いに変換など無理そうなトピックまで放送禁止用語を交えて徹底的にジョークに変えていた。
観客にもランダムにツッコミが入り、笑ってない客は笑っていないことに対していじられるなど会場は大爆笑。そして気の利いたジョークが飛び出すとスタンディングオベーションまで沸き起こる。
クリス・ターナーも自虐的ネタで登場
「不謹慎」だの「言葉の暴力」だのという反論は「上手く笑いに変えられるコメディアン」に対してはしないのがアメリカのコメディ界の大前提であり流儀。
逆に言えば、上手く笑いに変えられない場合はバッシングは免れないし、コメディシアターでは下手なジョークには会場からのブーイングも容赦ない。
これはアメリカが良いとか悪いとか、日本と比べてどうか、ということではなく、そういうものとしてコメディアンはトーク内容を考えているし観客も見に来ている。
ちなみにこの MAD APPLE に登場するブラッド・ウィリアムズ(当ショーの中で唯一名前の表記があるメインアクターのため毎回出演予定)は身長1m足らずの小人症で「自分の小ささ」もネタに交えた過激な笑いで人気を博したコメディアン。
またフリースタイルラッパーのクリス・ターナーも「イギリスの白人」というある種「白人社会でのトップ」でもあるわけだが、「僕みたいなホワイトボーイがラップだなんて何事かと思うだろうけど」と自虐を含め、やはりその存在を笑いに変えていく。
このショーに向く人、向かない人
たとえ英語に自信がなくとも、アメリカの大衆カルチャーの真髄であるスタンダップをみてみたい、という人には向いているので強くお勧めしたい。
ディープなコメディシアターだとお手上げになり逃げ場もないが、このショーならコメディ部分は3割程度なので、スタンダップ部分がたとえ理解できなくても他の部分は普通にシルクのショーとして楽しむことができるからだ。
また、この会場でかつて行われていた同じくシルクのショー「ZUMANITY」のファンにもお勧めしたい。
毒舌ジョークばかり触れてしまったが、スタンダップはリベラルな視点で話されることも多いので、アプローチ方法は異なるものの多様性を認め合う思想は会場と共に ZUMANITY から引き継がれているからだ。
逆に言えば、多様性など論外! が信条の保守派の人たちには受け入れ難いショーかもしれない。
ちなみに放送禁止用語が容赦なく飛び交うこともあるためか、この MAD APPLE は16歳未満は入場禁止となっている。子供は元より、英語力があっても過激な内容に抵抗がある人は、当然のことながら楽しめない可能性が高いので要注意。
30分前には絶対に会場入りすること
そのようなわけで人によって是非が分かれること間違いなしだが、もし行く場合は遅くとも開演30分前には会場入りするようにしたい。
他のシルクのショーでも開演前に会場の雰囲気を盛り上げるべくキャストが客席を歩き回り観客を笑わせたりするが、この MAD APPLE では公式に「30分前からプレ・ショーが行われます」と謳っている。
今回の取材で会場内に入ったのは40分前だったが、その時点ですでに一部のキャストが客席を廻って笑いを取ったりしていた。
30分を切った辺りから徐々に会場全体を巻き込む出し物が始まり、キャストは少しずつステージに移動。そして開演10分前には、観客はステージにくぎ付け状態になったままで本編に突入。
「気が付いたらショーが始まっていた」がこのショーの開演スタイルでもあるので覚えておきたい。
早く行ってステージに上がろう!
30分前に行くべき理由はそれだけではない。なんと、プレショーを行ってる間、観客はステージに上がることができる。
といっても、別に『笑われる生贄客として』連れて行かれるわけではない。酒を片手にショーを観るためのバー(通常は劇場のロビーにある)が、ステージの上にあるというわけだ。
シルクのステージの上には特別なバックステージツアーにでも参加しない限り行けないのが普通だが、ドリンクを買うために上がることが出来るとは、なんとも粋な計らいではないか。貴重な体験になるはずなので、ぜひ上がってみて頂きたい。
アルコール類はべらぼうに高い?!
ドリンクといえば注意点が1つ。それはその値段。特にアルコール類は安くない。というか日本の感覚ではべらぼうに高い。
この日はカクテル2つをオーダーしてみたが、チップを入れて2杯で$60弱。
ベガスのショー会場のドリンクが高額なのはもはや当たり前で、ステージに上がる体験料も含めて考えれば妥当なのかもしれないが、昨今の円安レートで日本円に換算すると約8000円。食事が出来てしまうような金額なので、財布に余裕がない人は要覚悟。
ちなみにショーと同名のシグネチャー・ドリンクである MAD APPLE は、アップルマティーニのようなウォッカベースのリンゴのカクテルで可愛い瓶に入って出てくる。
$30か…と感慨もひとしおで、一層おいしく感じること請け合いだ。
役者に絡まれたくなければ後ろの席
シルクのチケット料金は需要と供給に応じた変動制(ダイナミックプライシング)が採用されているので固定ではないが、安い席は$70位からで、高い席は$200前後といったところか。
大きな花道のようにせり出したステージを囲む形で客席が作られているので、全体を観たい場合は出来るだけ正面を選ぶと良いだろう。
なお前のほうの席はコメディの際に絡まれる可能性があるので、それを避けたい人は8列目より後ろにしておくと、やや安全かもしれない。
公演日時は水・木曜を除く毎日 7:00pmと9:30pm。16歳未満は入場不可。18歳未満は大人の同行が必要。
コメント(1件)
以前シルク・ドゥ・ソレイユがシカゴでやってた同様のショーBanana Shpeelが
不評でたった一年で終演になったけど、二の舞いにならないか心配。