週刊ラスベガスニュース バックナンバー   2005年 02月 16日号
学術的な資料館として評価したい "原爆博物館"
 2月 20日、ストリップ地区の中心街から約 2km 東の地点に "原爆博物館" (写真右、クリックで拡大表示)がオープンする。それに先立ちメディア関係者らに内部が公開されたので、さっそく取材してみた。

 正式な名称は Atomic Testing Museum。和訳の必要性も含めて、これの訳し方には異論もありそうだが、実態を直視しながらあえて和訳するならば、やはり 「原爆博物館」 ということになるだろう。正式名称に bomb や weapon は含まれていないが、展示の中心が核兵器であることは疑う余地がなく (原子力発電に関する展示も多少あるが)、それは売店で売られている記念グッズ (写真左下) のデザインなどを見ても明らかだ。また、水爆を含めて 「原爆」 と呼ぶことには多少のためらいもあるが、館内での技術的説明を見る限り、ウラン型やプルトニウム型がメインとなっており、「核兵器博物館」 とするよりも 「原爆博物館」 とした方が一般的にはなじみやすいだろう。

 話題が原爆となると、被爆国日本にとっては非常に敏感な問題で、また当事国アメリカにとっても政治的な論争に発展しやすく、扱いがむずかしいのがメディアにとっての頭痛の種だ。
 事実、首都ワシントンにあるスミソニアン博物館では、広島での原爆投下機 「エノラゲイ」 の展示などをめぐって今でも論争が尽きず、死傷者の数から原爆投下の是非、さらには真珠湾から戦争責任問題まで、「展示やその説明において、歴史的・政治的な公平さを欠いている」 といった論争は終わりを見ない。

 そんな題材だけに、取材する側も神経を使うばかりか、取材を受ける側も日本のメディアに対しては過敏になりがちのようだが、とりあえず今回の取材では他のアメリカ系メディアと一緒にごく普通に館内をガイドしてもらえた (当然のことではあるが)。
 広島や長崎に関する資料の前などでは我々に対して多少気まずい思いもあったのではないかと思われるが、きちんと任務を果たし詳しく案内してくれた現場スタッフの Pegey Bostian さんには感謝したい。ここでは加害者、被害者という立場を抜きに学術的資料の展示として史実や現実を直視すべきだろう。

 さて、なにゆえエンターテーメントの町ラスベガスにこの種の博物館がお目見えしたのかということになるが、それはもちろん言うまでもなく、ラスベガスが属するネバダ州が米ソ冷戦時代に核実験場となっていたからだ。
 今でこそ臨界前(未臨界)地下核実験しか行なわれていないが (包括的核実験禁止条約 CTBT で、地上および大気圏での実験は禁止されている)、米ソ冷戦時代はそれこそおびただしい数の核実験がこの地で行なわれており、現場から百キロメートル以上離れていたとはいえ、「ギャンブルやエンターテーメントの町」 が 「核実験場の隣町」 であったことは事実なのである。
(左上の写真は、自動車のナンバープレートのデザインのひとつとして最近公募でノミネートされたものだが、反対意見が多くボツになってしまった。ちなみにアメリカでは各州が、その州ゆかりのものをデザインしたプレートを作る傾向にある)
 今回オープンする博物館も、そんな実験場 (NTS: Nevada Test Site) での史実を紹介することに重きが置かれており、展示品や写真の多くが、その実験場の関係者や関係機関から提供されている。
 ちなみにこの博物館の運営母体は The Nevada Test Site Historical Foundation (NTSHF) で、そのメンバーには NTS に従事していた元軍人なども名を連ねているという。

 館内をすべて見て回った感想としては、かなり充実した展示という印象を受けた。特に 「グランドゼロシアター」 (爆心地劇場) と呼ばれる施設はよくできており、大気圏核実験の様子を映像と振動と風でかなりリアルに疑似体験できるようになっている。
 一連の施設の建設に際しては国からも一部補助金が出たとのことだが、基本的にはほとんどが寄付金でまかなわれており、そういう意味ではなかなか立派な内容といってよいだろう。もちろん NTSHF が NPO (Non Profit Organization。非営利団体) であることは言うまでもない。

 被爆国の者がこの種の展示を 「立派」 と評することには異論があるかもしれないが、ここは政治的な観点は抜きに学術的な展示として評価したい。
 もちろん、日本の降伏を報じる当時の新聞、アインシュタインがルーズベルト大統領に宛てた手紙、J.F.ケネディー大統領が NTS を訪れている写真、ソビエトと対峙する展示 (写真左)、冷戦終結の象徴ともいえるベルリンの壁の現物など、政治色がまったくないわけではないが、おおむね思想的な部分は排除され、また、核兵器そのものに対しても反対派の抗議デモの写真を展示するなど、全体としては中立的な立場が守られているように見受けられる (見方によってはそう見えない者もいるだろうが)。環境破壊や人体への影響などに関する問題提起のための展示スペースも少なくない。
 広島や長崎の写真に関しては、スミソニアン博物館での騒動と同様、「もっと悲惨な写真を展示すべき」 などといった意見が今後出てくるかもしれないが、この種に展示に対してはアメリカ側の世論などを背景とした 「できることとできないことの限界」 のようなものも見え隠れしており、その種の議論はここではあえて避けることとしたい。ちなみにこの博物館もスミソニアン博物館からさまざまな部分でサポートを受けているという。
 蛇足ながら、広島と長崎の話が出たついでにふれておくと、年表の展示において、広島、長崎、終戦の日付がそれぞれ 8/6、8/9、8/14 と記載されていた。8/15 が終戦記念日と認識している我々にとっては少々違和感があるが、時差の問題もさることながら、「終戦の瞬間」 の定義が日米の間で微妙に異なっている可能性もあり非常に興味深い。いずれにせよ、御前会議での決定、ポツダム宣言受諾を連合軍側に伝えた瞬間、玉音放送など、どれを終戦とし、またどこの国の時間で定義するかによって 「終戦日」 は変わってくるわけで、この日付にあまり固執する必要はないだろう。

 さて、読者の興味は、この博物館に行って見るべきかどうかということになるだろうが、それの答えはむずかしい。
 当たり前の表現になってしまうが、興味がない者が行っても得るものがないだろう。また、政治的資料はそれほど多くないため、米ソ冷戦時代の裏話的な情報などに興味がある者が行ってもあまり楽しめないかもしれない。
 では軍事マニアのような者が行くべき場所かというと、そうでもなさそうだ。マニアの興味の対象となりがちな戦略的技術、たとえば ICBM や SLBM といった核弾頭の運搬手段に関する展示などはほとんどないからだ。また、多核弾頭ミサイルに対する迎撃といった超高度な技術なども非常に興味深いところだが、そういった情報ももちろん公開されていない。
 この展示はあくまでも原子力、とりわけ原子爆弾そのものに対する開発の史実、特に机上の計算ではなく実験 (testing) という現場からの客観事実を写真、映像、模型などで提供する場所で、そういったことに興味がある者が行けば極めて有意義な知識や情報を得ることができるだろう。できることならば、上のナンバープレートの写真 (クリックで拡大表示) の右側に赤い小さな文字で描かれている公式の意味を理解できる程度の知識を持って行けば、より一層楽しめること間違い無しだ。
 公式といえば、アインシュタインがそれを発表してから今年はちょうど 100年目に当たる。今年はそんな彼の偉大なる功績 (1921年にノーベル物理学賞) をたたえる科学イベントが世界各地で開催されるが、この博物館のオープンもその一環だ。また国連もその世紀の大発見をたたえようと 2005年を 「世界物理年」 (The World Year of Physics 2005) としているので (www.physics2005.org )、科学に興味がある者は、この年にアインシュタインと不可分のこの施設を訪れることは意義深いだろう。

 展示場脇には記念グッズを販売する売店もある。帽子が $5 など (写真左)、非営利団体であるためか、この種のショップとしてはかなり安く、また当局から無税販売の認可を受けているため消費税 7.5% は課せられない。
 入館料は一般が $10 で、65才以上と 18才未満が $7。6才以下は無料。開館時間は月曜日から土曜日が 9:00am 〜 5:00pm、日曜日が 1:00pm 〜 5:00pm。
 行き方は、ストリップ地区からバスでも行けるが、運行本数が少ないのでタクシーが便利だ。運転手に 「Atomic Museum, please!」 などと言えばわかってもらえるはずだが、新しすぎて知らないような場合は、「755 East Flamingo Road 」 と番地を告げればよいだろう。料金はベラージオなどがある交差点付近から $6 前後。所要時間は約 5分。
 最後に、日本のメディアに館内の撮影を許可してくれた館長およびスタッフの方々に感謝申し上げると同時に、読者の方々には写真の無断利用を固くお断りいたします。


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