週刊ラスベガスニュース バックナンバー   2018年 05月 02日号
人類史上最大級といわれる爆発事故から 30年
 5月4日は、PEPCON disaster (ペプコン大惨事。日本のメディアでは「ペプコン大爆発」と表記されることが多い)からちょうど 30年。
 地元ラスベガスではもちろんのこと、全米規模で、ここ数日、この歴史的大惨事を振り返る検証報道などが行われている。
 観光情報とはまったく関係ない話題ではあるが、ここの読者の中には、観光や旅行を抜きに、純粋にラスベガスが好きというベガス・フリークもいるようなので、30年という節目のこの機会にこの大惨事があった事実だけでも紹介しておきたい。

 PEPCON とは、ラスベガスのホテル街から南東方向に直線距離で約15km の地点に存在していた化学工場 Pacific Engineering Production Company of Nevada の通称。
 この工場で製造および貯蔵していた、スペースシャトルなどに使われるロケット燃料(過塩素酸アンモニウムという酸化剤)約 4000トンが、1988年5月4日に爆発してしまった。
 NASA や各報道機関などによると、この事故は、核爆発を除けば、人類史上最大級のエネルギーを放った大爆発とのことで、地震のエネルギーに換算するとマグニチュード 3.5 に相当するとされている。
 実際に爆風のみならずラスベガスの大地が大きく揺れたというから、通常の爆発事故とは比較にならない規模だったようだ。爆心地には深さ約5メートル、直径60メートルほどのクレーターが出来たというからその規模は想像を絶する。

 それほどの大爆発だったにもかかわらず、人的な被害は死者わずか 2名、負傷者約370人とされ、当時の炭鉱などでの爆発事故と比べると人的被害は極めて少なく、それがゆえに、大きな追悼イベントなどが行われることはほとんどなく、風化されやすい大惨事として、この30年間、あまり話題にされることがなかった。

 事故原因は、溶接作業などの火花が近くの可燃性のものに燃え移り、その延焼を防ぐことが出来ず、最終的にロケット燃料の爆発に至ってしまったのではないかとされているが、すべてが吹き飛んでしまい正確な現場検証ができなかったため、くわしい経緯などはわかっていないようだ。
 人的被害が少なかった理由は、ランチタイムであったことから現場を離れていた従業員が多かったこと、避難のための時間的余裕があり、従業員 77人のうち、責任者の 2人以外は遠くへ避難できたこと、現在とは異なり当時の現場周辺は人口密集地ではなかったこと、近隣にマシュマロを製造する食品会社の工場があったものの避難が間に合ったこと、などがあげられる。

 ちなみに現在の現場は、グリーンバレー地区と呼ばれる新興住宅地に近接するエリアで、DMV(陸運局)やカーディーラーなどが軒を並べる地元民の生活圏になっていることから、もし現在の状況で同規模の爆発があったら数千人の死者が出ていただろうといわれている。

 最後に、この事故には、因縁のようなものが感じられる運命的ストーリーがあるので紹介しておきたい。
 ペプコン大爆発は単独事故ではあるものの、じつは有名な事故とつながっているというから興味深い。それは、1986年1月に起こってしまったスペースシャトル「チャレンジャー号」の爆発事故だ。
 その事故により、NASA はスペースシャトル計画を数年間凍結。それでも PEPCON は NASA から長期にわたるロケット燃料の製造契約を受けていたため、生産を続行。結果的に、出荷することなく貯蔵し続け、4000トンもの爆発物を保管することになってしまったというわけだ。
 もしチャレンジャー号の事故がなく、ロケット燃料を NASA に定期的に出荷していたら、これほどの大爆発にはなっていなかったにちがいない。
 チャレンジャー号の事故でアメリカ全土が悲しみに暮れているとき、2年後のペプコン大爆発をだれが予想できただろうか。
 運命論などはともかく、二度とこのような事故が起こらないよう、危険物を取り扱っている現場では安全対策に万全を期してもらいたいものだが、ロケット燃料の扱いは簡単ではないようだ。
 事故後 Pacific Engineering Production 社は、跡形もなくなってしまった現場を去ることになり、社名を Western Electrochemical Company に変更し、となりのユタ州に移転したが、移転後の 1997年7月、ふたたび一人の従業員が死亡する爆発事故を起こしている。
 このたびのペプコン大爆発 30周年が、業界全体における安全対策の再認識のきっかけになることを願うばかりだ。




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